電子制御工学科の近況

電子制御工学科長 長澤 正氏

 今年から電子制御工学科の学科長を拝命いたしました。高専を卒業して32年、高専に赴任して16年になります。このような立場で卒業生の皆様にご挨拶することになろうとは夢にも思っていませんでした。複雑な気持ちです。

 卒業して十数年目、母校沼津高専を訪れたときふとタイムスリップしたような感覚にとらわれました。自分は卒業してから大学生活、企業での新人時代、次々と展開される開発プロジェクトなど、めまぐるしく変遷する中をときに喘ぎながら泳いでいるのとは対照的に、多くの個性豊かな先生方が在学当事のままそこにいるのです。奇妙な安心感というか居心地のよさを覚えたものでした。集中しなければ大事なことを聞き逃してしまう独特な語り口の箕輪先生、キャンパスの風景の一部となっている勝又先生のジャージ姿。今でも学生たちに私より若いと思われている山岸先生。Mr. Numazu KOSEN勝呂先生。電気(現在は電気電子工学科)には、浜屋先生、平林先生、若松先生のお三方が圧倒的な迫力で鎮座なさっておりました。「母校」に母の字が使われている所以を妙に納得したものです。

 母校を構成する大事な要素は場所や建物でなく、先生方の発するオーラのようなものではないかと思います。ここ数年で、本校創設当時から活躍されてきた先生方が次々と定年退職されます。前述の先生方も山岸先生を除き退職されました。時の流れとはいえ、大切なオーラが次々と本校から消えてしまうのは大変残念です。

 私の講義を受けた学生諸子も社会の荒波にもまれ、それを乗り越え、幾度かの仕事上の達成感を味わっていることと思います。研究室を訪ねてくれる卒業生は、十数年前の私と同じように「母校」の母の字の心地よさを感じてくれているでしょうか。

 さて、電子制御工学科は前回の会誌発行(4年前)の教員構成から、小林幸也先生が定年退職(平成16年3月)され、平成17年4月に新進気鋭の江上先生を迎えました。小林先生には、就職氷河期と呼ばれる就職難の時代に、長期にわたり就職担当としてご尽力いただきました。先生の丁寧な就職のご指導は、就職を控えた学生には心強いものだったと思います。江上先生は、経済や生態系などを数学的にモデル化して解析する研究をしておられます。これからが楽しみな方です。

 他の先生方といえば、あいかわらずパワフルに学生の指導にあたっております。始業式で「諸君、命を大切にせよ。」のカリスマスピーチで全学生から喝采を浴びた学生主事の森井教授。ロボカップの澤教授は、最近e-leaning推進に多忙を極めております。ミネソタ大学との研究も佳境に入る舟田教授。遠山教授は、毎年、専攻科の学生を国際会議に連れて行きます。中学生に人気の公開講座「ロボット教室」の川上助教授、ネットワークのスペシャリスト、もはや沼津高専LANは牛丸助教授なしには考えられません。熱血、鄭助教授の研究室のテーブルにはいつも学生がノートを広げております。冷静沈着、大原助教授も健在です。不夜城・・・大庭研究室。私はまだ流れ星を追いかけています。

 今年度から始まった教員交流制度で、一関高専から管先生が当科に赴任し教鞭をとられています。ご存知のように16年度より全国の国立高専が1つの独立行政法人「国立高専機構」となりました。教員交流制度も同じ法人ゆえに生まれた制度です。10月には一関高専との交換寮生も実施されました。今後、ますます交流が盛んになっていくと思われます。

 当科の重要なカリキュラム電子機械設計製作(通称MIRS)が最初に実施されたのが1988年ですから、もう18年もやっていることになります。制御用のマイコンはZ80 から始まりモトローラ68000、I486と変遷し、競技も「鬼ごっこ」から「オリエンテーリング」に変わっています。厳しいドキュメント作成に泣かされた卒業生も多いと思います。いつかは、きっと重要性をわかってもらえると、学生の恨みがましい視線に耐えながら、心を鬼にしてきましたが、私も角がとれ最近はちょっと甘くなりましたか。企業ではもっともっと厳しい実情を実感なさっていることと思います。最近の教育現場では、MIRSのような競技会型のPBL(Project Based Learning)は、曲がり角にあるのではないかというような雰囲気があります。卒業生の皆様はどのように思われますか。学生が熱中して、徹夜もいとわないようなPBLはないものでしょうか。

 最後に、冒頭にも述べましたが、母校は卒業生の「母港」でありたいと思っています。たまには、立ち寄って話を聞かせてください。

ページの先頭へ