活動報告
2015.04.11
稲葉吉伸君を偲ぶ会およびM12期クラス会
- 開催日時:2015年4月11日(土) 18:30 ~
- 開催場所:ニューとみよし
- 幹事 :溝口久、西田友久
- 出席者 :14名(墓参り:14名、宴会のみ:2名、宿泊:9名)
大隅 辰雄、勝又 和彦、川村 兆弘、小池 伸二、柴田 一人、高橋 周男、西子 公規、
西田 友久、比田井 則昭、松尾 孝、松島 淑浩、松村 主吉、溝口 久、山田 寿幸
M12クラス会にて(参加者11名)
偲ぶ会にて(参加者14名)
沼津高専にて
報告
第12代学生会長の稲葉吉伸君は昨年2月頃から食欲が落ち、4月初旬の診断ではすでに胃癌の末期と告知され、治療する間もなく平成26年4月21日に56才の若さで永眠されました。稲葉君のご親族も誰に連絡をして良いものかわからなかったようで、小生(西田)に訃報の知らせがあったのはお通夜当日の午後でした。早速、同級生や関係の先生に連絡しましたが、あまりに急なことでしたので、式に参列した高専関係者は勝呂先生はじめ数名でした。そこで、「一周忌までにはM12の皆とお墓参りをしたい!」と思い、クラス会を兼ねて稲葉君のお墓参りを計画し14名が参加しました。
学生時代の彼は明朗闊達、成績も優秀で、クラブ活動は卓球部に所属し、5年次には部長として部員をまとめて東海大会団体戦優勝、ダブルス優勝、全国大会でも好成績を残し、さらに、学生会長としても高専祭や体育祭をはじめとする学生会活動にも大活躍し、その証として卒業生1名に与えられる井形賞を受賞しました。卒業後、ミツトヨ、東洋電産、横浜ゴムを経てスキルアップし、平成13年8月に設計事務所を開設しました。その間、平成9年10月に結婚して友人達と大喜びしたのも束の間、平成10年4月に奥様が病死され、続いて平成11年11月に両親までもが災害で他界するという本当に不幸な出来事が起きました。彼は数々の苦境を乗り越えながら仕事に精を出しましたが、5年ほど前に起きたリーマンショックの影響は大きく、また、彼の体までも蝕んでいったようです。
我々の代表であった稲葉君が他界したことは本当に悲しいことでした。ご不幸の続いた後に友人たちと「我々で何かサポートできないだろうか?」とも考えましたが、当時は「辛い経験をしたので、そっとしておいてあげよう!」ということになりました。その後も電話での連絡は取り合うものの、我々と会う機会も無くなり、今思えば「クラス会などにもう少し強引に誘うべきだったかな?」と後悔しております。
お寺の孫である小生は墓前で般若心経を唱えた後、「稲葉吉伸君、高専時代の素晴らしい思い出を有り難う!我々は元気で優しくリーダーシップを取ることのできた君のことを忘れない。大変お疲れ様でした。そして、安らかにお眠り下さい。」と心の中でつぶやきました。
(西田友久拝)
お墓参りを終え、彼の位牌のあるお姉さん宅にお邪魔して、自己紹介と稲葉君との思い出を各人が話をしました。その後、一路熱海(一級上の先輩の旅館「ニューとみよし」)に向かいました。移動の車中では、今の仕事の話が中心となり、建築に転向、しかも役所勤めの小生(溝口)には、わからぬ内容が多くなりましたが、工作実習で実体験したことなら何となく分かりました。当時から人望が厚く学業優秀な小池君は牧野フライスの役員になり、石油販売業、鉄工所、温室ボイラー製造業、機械設計業を経営する者、ヤマハ、スター精密、清水建設、ヤマハ発動機、教員等、皆大いに活躍(社長も6人)している様子で何よりでした。
大病を患った比田井君からは、自分の会社を他人に譲り、自身は福祉と向き合いたいと“悟り”に似た発言がありました。40年前に共に学んだ仲間が積み重ねてきた人生の話は実に興味深く、成功の話は素直に喜ぶことができました。ご子息を高専に入れている者も多い中、娘二人の小生は残念ながら実現できませんでした。会の締め括りは、「次回はお互いに還暦を祝う会にしよう!」と言うこととなりました。
(溝口久拝)
おわりに、今回のクラス会を開催するにあたり同窓会より支援金を頂戴したことに深く感謝申し上げるとともに、お供え物および通信費とさせて戴きましたことを報告致します。