沼津高専の歴史とこれから
副校長(教務事務) 制御情報工学科 教授 柳下 福蔵(M1)
昭和37年(1962年)3月29日、沼津市大岡の地に12校の一つとして沼津工業高等専門学校が設置され、はや44年が経過した。この間、幾多の変遷があったものの、このような長期に亘って存続した教育制度は戦後まれであると聞いている。設置後、44年間の沿革を別表「沼津高専の沿革」に示したが、この表により沼津高専の歴史を顧みつつ沼津高専のこれからについて考えてみる。
高専が44年もの長きに亘って存続できた主たる理由は、卒業生が産業界において有意な人材として活躍してきたからであり、進学者(専攻科および大学編入学)が卒業生の約半数となった昨今においても、その理由は何ら変わることはない。大学編入学者が増加したのは、低学年から実験・実習・演習を楔形に積み上げていく高専のカリキュラムが工学系の教育に適している証であり、大学工学部からも高専卒業生が求められ編入枠が拡大ことに起因している。国の行政改革の一環として、平成16年(2004年)4月から全国55校の国立高専が独立行政法人国立高等専門学校機構の所属となって以後、国からの予算の削減、教職員の定員削減、さらに15歳(中学卒業者)人口の継続的減少に対応するために全国8地域において高専の統合による学科の減少・事務の合理化等が検討され出しているのが最近の状況である。このような背景のもと、沼津高専のこれからについて真剣に検討しなければならないことは必然的な課題である。
沼津高専は静岡県東部地域に唯一の国立高等教育機関であり、この地域には機械系、電気電子系、化学系、情報系の産業が一様に存在する極めて恵まれた立地条件のもとにある。また、校内の施設(講義棟、専門学科の実験棟、図書館、機械実習工場、総合情報センター、地域共同テクノセンター、専攻科棟、学生寮)ならびに各建物内の設備が沼津高専ほど完備している高専は全国的にもまれである。このように恵まれた環境のもとに、沼津高専のさらなる充実・発展を達成するためには、下記の事項を目標とし着実に取組んでいくことが必要不可欠と考える。
・ 低学年から実験・実習・演習を楔形に積み上げていく高専のカリキュラムの特長を一層確かなものとするために、企業人の参加のもとに実験、実習、演習のテーマを再検討して改善する。(産業界で活躍している卒業生だけでなく編入学先の大学教授からも、最近の高専卒業生の実験スキルの低下が指摘されている。)
・ 開かれた高専、地域と共生する高専をモットーに、地域の産業界、地域の教育機関(中学校・高校等)ならびに行政機関との連携を深めることにより、高専の良き理解者・支援者を増やす。
・ 将来的には、卒業生の建設的な意見や地域産業界の要望を考慮して、現在の専門5学科(機械工学科、電気電子工学科、電子制御工学科、制御情報工学科、物質工学科)の改組も考慮した見直しを行う。
最近のトピックスは、経済産業省の平成18年度新規事業「高専等を活用した中小企業の人材育成事業」の採択を受け、高専の施設・設備を活用して平日の午後5時以後や土曜日に、地域中小企業の若手技術者を対象に、「モノづくりの基礎と応用6コース」ならびに「先端技術3コース」が実施されていることである。この事業は、講義だけでなく高専の設備を活用した実験・実習が含まれているのが特徴であり、平成19年度まで経済産業省の補助金で運営され、平成20年度以後は沼津高専に社会人コースを新設して地域中小企業の人材育成、リフレッシュ教育の要請に継続的に応えていく予定である。
平成19年(来年)11月、沼津市門池地区を主会場、沼津高専グラウンドと体育館を第二会場として「第39回技能五輪国際大会(World Skills)」が開催され、40カ国から15~20万人の来場者があるものと予測されている。沼津高専は、恒例の高専祭を技能五輪と同時開催し、日本全国のみならず海外からの来場者に広く沼津高専の存在をPRする予定である。
OECD調査団が日本の教育制度を視察し、高専の実践的教育は素晴らしく、大学工学部教育にはいくつかの問題ありとの報告をしている。高専は日本だけに存在する教育制度と思っていたが、台湾に5年間勉強するから「五専」という高専と全く同じ学校が存在した。近年、「五専」が順次大学に変わっていくことを憂える声がある一方、マレーシアはさらなる産業発展のための実践的技術者を育成するために「高専」の設立準備を進めているとの情報を耳にする。
沼津高専は、平成16年3月3日に設置された「地域共同テクノセンター」の各種事業が順調に進展し、この分野では全国55の国立高専の中でトップクラスに位置するが、他の教育・研究分野における評価はトップクラスがおぼつかないのが現状である。ともあれ、独立行政法人化以後、厳しい局面が続く状況下において、「人柄の良い優秀な技術者となって世の期待に応えよ」を教育理念として沼津高専のレベルアップを達成するために教職員一丸となって取組んでまいりますので、卒業生諸君のさらなるご支援・ご協力を節にお願いするところであります。
終わりに、創立20年史の慶伊富長校長の原稿より「それは小さなカレッジには違いない。しかしながら、それを愛している人たちもいるのである。(D.ウェブスター)」を引用して筆を擱くことにする。
沼津高専の沿革 | |
昭和37年 3月29日 | ●沼津工業高等専門学校(機械工学科及び電気工学科)が設置された。 |
4月 1日 | ●初代校長に静岡大学工学部教授井形厚臣が任命された。 |
4月20日 | ●開校式並びに昭和37年度入学式を挙行した。 |
昭和39年 7月21日 | ●校長井形厚臣の急逝により、教授深尾保が校長事務取扱いに任命された。 |
10月16日 | ●2代校長に名古屋大学工学部教授土井静雄が任命された。 |
昭和40年 4月 1日 | ●事務部に庶務課、会計課が置かれた。 |
昭和41年 4月 5日 | ●工業化学科が設置された。 |
昭和42年 3月20日 | ●第1回卒業式を挙行した。 |
昭和44年 4月 1日 | ●事務部に学生課が置かれた。 |
昭和45年 4月 1日 | ●男子低学年(1,2年)全寮制を開始した。 |
昭和47年11月 1日 | ●創立10周年記念式典を挙行した。 |
昭和48年10月16日 | ●3代校長に静岡大学名誉教授樋口泉が任命された。 |
昭和51年 4月 1日 | ●第4学年への編入学を認めた。 |
5月 8日 | ●情報処理教育センターが設置された。 |
昭和57年 4月 1日 | ●4代校長に東京工業大学名誉教授慶伊富長が任命された。 |
11月 1日 | ●創立20周年記念式典を挙行した。 |
昭和60年 4月 1日 | ●女子低学年(1,2年)全寮制を開始した。 |
昭和61年 4月 1 | ●電子制御工学科が設置された。 |
平成 元年 4月 1日 | ●工業化学科が物質工学科に改組された。 |
4月 2日 | ●5代校長に文化庁文化財鑑査官工藤圭章が任命された。 |
平成 4年 4月 1日 | ●機械工学科(2学級)が機械工学科(1学級)と制御情報工学科(1学級)に 改組された。 |
11月11日 | ●創立30周年記念式典を挙行した。 |
平成 8年 4月 1日 | ●6代校長に豊橋技術科学大学副学長山下富雄が任命された。 |
4月 1日 | ●専攻科が設置された。 |
平成11年 4月 1日 | ●電気工学科が電気電子工学科に改組された。 |
平成14年 4月 1日 | ●7代校長に東京工業大学事務局長渡邉隆が任命された。 |
平成16年 3月 3日 | ●地域共同テクノセンターが設置された。 |
平成16年 4月 1日 | ●独立行政法人国立高等専門学校機構沼津工業高等専門学校となった。 ●8代校長に信州大学事務局長久賀重雄が任命された。 |
平成17年 4月 1日 | ●情報処理教育センターが総合情報センターと改組された。 |
12月 9日 | ●第1回静岡県東部テクノフォーラム in 沼津高専を開催した。 |
平成18年 4月 1日 | ●事務部の庶務課と会計課が総務課に統合された。 |
12月8日 | ●第2回静岡県東部テクノフォーラム in 沼津高専を開催した。 |
平成19年 4月 1日 | ●第4学年編入学を第3学年または第4学年編入学と改めた。 |