還暦を迎えて我が職歴を振り返る

M1 伊達忠昭

1967年4月 M1期卒業生として日立製作所に入社しました.
前年の5月初め まだ就職のことなど何も考えていなかったときに 担任の岸岡先生に呼ばれて「日立を受けなさい」と言われるままに、どんな会社かもよく知らずに入社試験を受けたところ通ってしまい入社することになりました。
最初の仕事は戸塚工場で国鉄と防衛庁向けの電子制御装置の構造設計でした。私は機械科出身ですが、上司は電気屋で、機械屋に対していつも、デザインが悪い、センスが無い、ゴツスギル、等の文句を言っていましたが、我々機械屋から見ると電気屋のやっている仕事の中身は全く見えません。
それが悔しくて、自分も電気屋に意見を言えるようになりたいと思って、2年後の9月から当時川崎市蒲田に有った日本電子工学院の電子工学科の夜間部に入学し、2年間通って電気の勉強をしました。
卒業間近になって、やはり自分は性格的に大企業に向いてないと思い、農家の長男でもある事から夜間の卒業を機に函南の実家に戻ることに決め、再就職先は学生時代から油圧工学に興味をもっていたこともあって、地元の油圧ポンプ、プレスのメーカーであるコータキ(株)を選びました。
当時は世間が不況の時期で、この会社も一時帰休をやっている状態でしたが、面接を受けたところ、すんなり受け入れてもらえました。
ここでは油圧プレスの設計を8年弱ほど続けましたがここでの経験が私の人生に最も役立ったと思っています。
油圧プレスはほとんどが受注生産で、1台毎にほぼ新規設計です。
少し慣れてくると自分の新しいアイデアで、時には冒険的な設計もして現場で自分の設計した図面がどの様な形と動きになるか確認し、更にそれが客先で稼動するまで立ち会って、図面と実物を常に照合することを繰返すことによって頭の中で、機械の最終の姿を描く訓練ができた、このことがその後の職歴に大いに役立ったと思っています。
仕事としては大変面白い時代でしたが、その内に会社の経営方針が変化して新しいアイデアや冒険の設計が許されなくなってきました。
加えて油圧業界そのものの技術進歩が遅いことにも魅力を感じなくなったことと併せて2回目の転職を決意しました。
どうせ新しい仕事を覚える苦労をするなら今までの知識の延長ではなく新しい知識を身に付けようと考えて電気屋になろうと決意し、東栄電機製作所に再就職しました。32歳の時でした。
1979年6月に入社したのですが その日から東芝機械に派遣され、板金加工機械用のNC装置の試験、調整及びアフターサービス業務を担当しました。
それまでの鉄の固まりの世界から、いきなり当時のTTLロジックの世界に変わり、専門用語も同じ言葉が機械と電気では全く違う意味になることもあって、苦労も多くその年の盆休みはどこにも行かずに家でTTLの勉強をしていた記憶があります。
4年の出向期間の内には、機械のわかる電気屋に変身できたと思っています。
東栄電機に戻ってからは、東芝機械からの移管に伴うシーケンスコントローラ-の試験ライン立ち上げを担当した後、新規編成の設計課への移動を命じられました。
まだ電子回路の設計まではちょっと無理 と思っていたところへ、一番年長との理由で管理職になれと言われたのですが、私以外は電気出身の設計経験者なので、部下の指導もできないような管理職にはなりたくないと思い、断って設計担当業務を
続けました.  そのせいか合計して12年弱勤務して最後まで係長どまりでしたが後から振り返ると、自分にとってはこれが正解だったと思います。
特にNC装置の試験を担当中にサーボ理論を勉強し、その後の設計課ではサーボモータとコントローラーに関する設計業務を多く担当したことがその後独立して機械設計をする上で大いに役立ちました。
7年程、電子回路と装置の設計を担当したおかげで一人で機械、電気両方の設計ができると自信を持った頃に、或るきっかけから独立して設計業務を請けるようになりました。
バブル崩壊後の不景気の時期でしたが、コータキ、東栄電機関係者、母校同窓生等の人脈に恵まれて、一度も営業活動をしないのに、ほとんど仕事が途切れることなく入ってきて、常に超多忙の状態で仕事をさせてもらってきました。
沼津高専の1期生と云うブランド? も仕事をもらうのに大いに役立ったと思います或る取引先の社長は
「ウチの使っている設計屋は 沼津高専の1期生と2期生だぜ!」
と得意げに話していました。
振り返って見ると機械屋として約12年次に電気屋として約12年両刀使いとして自営で約15年経ちました。当初は機械も電気も仕事をさせてもらったのですが設計外注の仕事は圧倒的に機械の仕事の方が多くて途切れないので、結果として最近は完全に機械屋に戻っています。
若い頃には、自立などは全く考えていなかったのですが、その時々の仕事に前向きに取組み、技術を身に付け続けた結果が現在に結びついていると思います。
40歳台の頃には月に360時間CADに向かって仕事をしたこともありました。
さすがに現在ではこれほどの無理はききませんが、まだ数年は一人前に設計できると思っています。
退職金を充分もらって悠々自適も良いと思いますが、還暦を迎えてもまだ一人前に仕事できることは大変有難いことだし、又、国家にも貢献していると自負しています。
1期生として1つだけ申し訳ないと思っているのは、若い人の育成という面であまり貢献できなかったことですが、私の生き方が少しでも後輩の皆様の参考になればと期待しています。

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