I Miss You
元教養科 教授 勝呂 譲(英語科)
電話をかけるとき、思わず「沼津高専のスグロです」と名乗ってしまいます。名刺にもう肩書きはなくなっているくせに。
この3月で40年の教師生活にピリオドを打ちました。なーんて言えばカッコいいのだけれど、現実はそうカッコよくない。大げさに公開最終講義なんかやっちゃった(やらされた)手前、恥ずかしいのですが、週三日ほど登校して、相変わらず学生課や講義棟周辺をうろうろしています。
集合写真は初めて私がクラス担任をしたC科6期生が2年に上がったときのものです。この中にも遺児を現在高専に送り込んでいる故人がいる…親子2代を教えた例もすでに20組近くなっているでしょう。Time flies and Iユve got old.
これ以後公私ともにいろいろあって幾星霜。いよいよ退職の前日に自分の部屋の前で撮った一枚が真ん中の写真です。誰かが私のボケをからかって、「アカン!忘れてしもた」の広告写真を壁に何十枚も貼ってくれたのでした。(あー、36年間籠っていたあの部屋。撤収の作業を思い出すだけでゾッとする。たまりにたまった皆様の―卒業生の―極秘資料、作文、答案…一人一人の顔を思い浮かべつつじっくり読んでしまったではないか。作業の進行は妨げられたが、無感動でいられるものか。昔の恋文を焼くように、一枚一枚ナンマンダー、ナンマンダーと唱えながらシュレッダーで切り刻ませていただきました。もうスグロ先生に過去をばらされる恐れはなくなりましたよ、多分)
で、今の私です。ケンシローを散歩させるのが日課ですが、知らず知らずのうちに幼児語になっちゃってる自分に気づきます。親としての、教師としての役割を終えようとしている今、寄る辺(頼りにするもの)を求める心理の表れなのでしょうか。
学生が研究室で事件を起こしたとか、教師のいじめがきっかけで生徒が自殺したとか、学校をめぐるスキャンダルが頻発しています。そういうニュースの一つ一つにドキッとします。私の周辺で起こったとしても不思議はなかったことばかりだからです。無事ここまで辿りつけたのはただただ幸運だったから、としかいいようがない。私ゃ全くひどい教師でしたよ、今の文科省やメディアからいちゃもんをつけられない理想の教師像―ロボットで済みそうだ―と引き比べれば。
正直、私にとってはいい学校でしたよ、環境も学生も。10年くらい前までは確かにそうでした。堅実かつ個性的にやっている学校として知る人ぞ知る存在だった沼津高専が全国一律の平均的な学校に変わりつつあります。しょうがないのかもしれないけれど、さびしいなあ。
私は高専卒業生のメーリングリスト(nct-ml@artistics.co.jp)で時々発言しています。馬鹿話に興じましょう。
とにかく、私の性格(だらしなさ、厳しさ、無責任etc.)に波長が合わなくて被害を受けた諸君、好き勝手を許してくれた諸君、ごめんなさい。そして卒業生のすべての方たちに、万感の思いを込めて――ありがとう。