夢よもう一度
M1 木ノ内 倫弘
二度にわたるリストラの波をそれなりに避け続け60歳の定年まであと1年8ヶ月という時点で、長年住み慣れてきた機械メーカーを退職しました。
そのままいれば比較的慣れた仕事で自分の守備範囲だけをこなすことに専念でき、部門を管理する責任もないし、家内と二人だけなら何とか食ってゆけるし、その後も厚生年金をもらえるまでは本当に安月給ながらも雇ってもらえるという環境にのうのうと甘んじて安穏な日々であった。
しかし、しかしである、そのままの生活ではなんとなく認知症が手招きしながら足早に近づいてきそうであり、なおかつまだ体力のあるうちにもう一花咲かす事ができないかという焦りみたいなものをだんだんと考える毎日となった。
特にのんべんだらりと生活する事が自分の人生にとって本当に悔いを残さないだろうか、生きがいを感じられるだろうかと遅まきながら考えがまとまった。
30代、40代、50代と毎日遅くまで会社に残り、その時点では思い切り自分を打ち込んできて、その結果55歳の役職定年後は比較的楽な充電生活を2年間送らせてもらった。
もう潮時である、と決断し次の会社生活に移って早や1年半が経過した。新会社では主に半導体製造装置の中に組み入れる石英ガラス製の治具を作っている。今までの鉄を削る生活に比べるとまったく性質の異なる石英ガラスの加工は新しいことだらけであるが、生産技術的に見ると共通するものがあり、特徴さえ飲み込めばあとはこれまでの経験をかなり応用でき、新機軸をうちだせる。
また旋盤やマシニングセンタなどの工作機械は多数あるが、それらが設置されている工場は一般のイメージと異なり、まるで事務所のように綺麗である。
なぜならば製品が半導体製造装置に組み込まれるため汚染を嫌いあらゆるところが清浄でなければならない会社である。
そういうことで毎日勉強の連続であるが、それなりに楽しみというか生きがいを感じている昨今である。
周りを見ると若い人が多く平均年齢は30歳くらいであり、活気に満ちている。
しかし良いところばかりではなく問題もいろいろあるがそれらを一つづつつぶしてゆくのもまた楽しみである。
あと数年間ではあるが若い人達に将来を期待できるような職場つくりに励み、同時に自分の夢も実現したいと思っている。
尚転職を期に自宅も三島市に移しました。ベランダからは北に富士山、南に駿河湾と伊豆半島、東には箱根山が一望でき住むにはたいへん環境の良いところです。
最後に同窓生各位のますますのご活躍を期待しております。