極楽とんぼ近況
元物質工学科 教授 木下 尊義
平成16年3月満63才となり規定にて3月末日定年退官いたしました。最後の退官組だそうです。退官の折には同窓会から過分のご芳志をいただき、会員の皆様にこの場をお借りしてご報告し、お礼申し上げます。私にとって定年退職は、60才ぐらいが良いかと思っていました。後はその人の健康状態やライフスタイルにより、65才までを自由に選択出来ると良いと思っている。もしかすると、定年退職などは無く全くの自由業に。縁あって沼津高専に赴任して35年余、若い頃は長く、50の坂を越えるとある種の焦慮を感じますが。
昭和43年10月工業化学科1回生が3年生の後期に着任し、日本経済は右肩上がりの高度成長期へ入る頃。私は大学院へ進み辛気臭い研究者になるよりは、高校の教員でライフワークを1つか2つ、ものにすれば良いと思っていた。N大教授には神奈川県か静岡県東部の教職を希望し、院への進学はしない旨を話した。しばらくして、教授から沼津高専を紹介され、念のため工業教員採用準備とY社内定をとった。ところが数ヶ月ほどして、半年前倒しで物理化学実験半年、化学工学実験1年分の立ち上げを、特に化学工学は装置全て手作りで。どうしたものかと相談してみたが、10年したら身の振り方を考える事にして、何とか成るだろうと承諾した。今思うとずいぶん乱暴な話である。
下見に高専を訪れた時、住所と同じ大岡駅に降りたが学校には遠く、あっけにとられた夏の白い日差しを思い出す。道は未舗装で車の後は土埃が舞い上がった。学校の周りは雑木林と民家が畑の中にちらほら。案内された4階建ての工業化学科はガランとしたコンクリートであった。これはこれはと内心思った。着任して1年半、技官D君と装置作りに明け暮れ、実験指導教官K先生の内地留学もあり悪戦苦闘した。環境科学は学際的分野で何でも屋であった。講義は後ほど環境化学を主に、安全工学、化学工学等に携わったが、タブーの時代からの環境科学から多くのことを学んだ。人はたかだか500万年で環境を破壊し滅びることを覚えた。人中が薬、創立期の優れた先達者に人間的魅力を感じ、教育について教えられた。学生はモラルもしっかりしており、優秀な学生が多く、そうでない人にもいろいろ教えられた。新幹線利用で東京も近く感じ、やりたいことは自由に、居心地が良く思いもかけず長居をした。振り返れば無駄なことが多かったが、無駄も、人生には大切だと老子も言っている。理性のある動物、人間はまことに好都合である。何にだって理屈を付け、生きることが出来る。当初の思惑とは違ったが、沼津高専に来たことはかなり良かったと思っている。学生諸君にとって良かったかどうかは分からないが。
後任が決まらないので、退官後講義をすることになった。差し当たり5年生きのびることが出来るか、健康状態を精密検査することにした。一カ所、予約検査、診断と1ヶ月近くかり、年相応の結果を認識させられる。秋から暮れにかけ体調不良を実感し、呼吸器と消化器を検査治療することになった。柄にもなく薬の副作用を考慮し、消化器は講義終了後にした。長丁場になりそうなので、桜前線を追い新緑を愉しみたく延期、粋な計らいに感謝。山梨北信の桜、富山の古い民家、黒部渓谷の新緑を愛で覚悟を決めた。副作用は食欲不振、味覚障害、体重激減、発熱、全身倦怠感、多痰、息切れ、動悸、肋骨痛、白髪脱毛、貧血、皮膚の赤色化、喉の渇きなどさまざま発症する。1年2ヶ月ほど軽い抗ガン剤の経験をした。経過観察5年、肩書きが付きこれで一人前の人間になった。年をとっても立派に生きることはなかなか難しい、人生(死)をどのように考え対処、処理するか。杉本健吉美術館にて「色即是空、空即是色」これにつきる。生活が全てではあまりに寂しい。
積ん読本の埃を払い、気ままに読書し整理処分する。今時本はがらくたで、資源ゴミの部類になってしまった。新刊は極力買わないようにしているが、それでも月に1、2回、行きつけの本屋へ足を運ぶ。古本屋へも時々行くが本の安いのには驚く。買い求める本は1/3以下になった。視力も体力も衰え自然の成り行きを受け入れるしかない。油絵はともかく、水彩画を始めようと思った矢先、昨年暮れ春日井市在住絵の師を失い、今年春沼津在住知人の画家が亡くなった。散文はまだメモ帳の段階であるが、肉体が許せば書きたいこと多々ある。
初夏から月に2回は旅に出かけることにした。体調と相談しながら5月会津地方へ、見過ごしてしまいがちな町、土管の坂道常滑、蔵の町半田、大正時代の町並み明智、山あいの小さな城下町岩村、塩田平戦没画学生の「無言館」、夭逝の画家「信濃デッサン館」、京都高台寺方丈の能、クラシックコンサート、山下洋輔ニューヨークジャズ、群馬信州の紅葉、月2回はさすがに疲れが残る。旅は人を生き生きとさせる。新しい発見、自由な気持ち、好奇心をかき立て。私は「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動がるれ」の気持ちである。
常日頃は、健康のため週3、4回だが近くの池の周りを散歩する。春は桜、秋はキンモクセイ、夏は昆虫の天下、冬から春にかけ緑色に光った雄のマガモ、毛が逆立ち気取ったカンムリカイツブリ、目の周りが金色で羽の先が白いキンクロハジロ、白いくちばしで黒一色のオオバン、ヒスイ色の背中でくちばしの長いカワセミを、運が良ければ見ることが出来る。今年の秋はカモメのように飛んでいるコアジサシを見つけ驚いた。季節によっていろいろな小鳥も見かけ、散歩もなかなか愉しい。
気に掛けなくても健康である若い頃と違い、60才以降は健康に注意する年、人生も教育と同じで、他人に助けられはするが、肝心なところは自分が自分を作り上げることで、そのためにも多少の努力は惜しまずに。
*沼津高専だより第84号退官挨拶「さて腰を上げますか」一部引用