エンジニアとして経営者として
M20 長谷川智之
沼津高専を卒業して早くも23年経ちます。
その間、私はエンジニアとして一生懸命努力してきました。
最初に就職した三島オリンパス株式会社では、
生産技術を主体として工場内の作業改善を約10年ほど実践してきました。
次の株式会社アーティスティックスというソフトウェアの会社では、
様々なプロジェクトを通じて、様々なソフトウェアを開発しました。
信じられないほどの残業にもくじけることなく成し遂げました。
そして今は、2007年の7月に株式会社アイズ・ソフトウェアを設立し、
まだまだ零細企業ながらも経営者としての道も歩み始めました。
経営者として出発しようとしたきっかけがいくつかあります。
ひとつは、子供が出来たこと。そしてもうひとつが、部下が出来たことです。
いずれも、私に今までにない「役割」が要求されました。
今まではエンジニアとして、技術面だけを見ていればよかったのに対して、
「父親」、「上司」あえて言うのなら、「指導者」としての役割が求められました。
何をするにしても「指導者」としての振る舞いが求められるのです。
「指導者である私はどうあるべきか?」という課題に対して、
私はまず、「父親としてどうあるべきか?」ということを考え、
「正しく強く生きる姿」を見せようと思いました。
そして「愛されたように愛してあげよう」と思いました。
次に、「上司としてどうあるべきか?」ということを考えましたが、
その前にまず、「部下を指導できるほどの力を私は持っているだろうか?」
ということを考えざるを得ませんでした。
何故なら、私はいわゆる教師のような指導者としての経歴もありませんし、
ソフトウェアの開発も誰に教わったというわけでもなく、
30歳を過ぎてからの独学だったので自信がなかったからです。
そう疑いはじめると、
「満足する仕事、後世に残るような仕事」をしていないことがとても気になり始めました。
父親として子供に誇れる仕事もしていません。
上司としてエンジニアとして尊敬されるような仕事もできていません。
そんなことで「指導者」として務まるのでしょうか?
その原因を考えてみると、もちろん、自分自身の技術力の不足も要因にはあるでしょうが、
「そのような仕事をするための行動が足りなかった」のが一番の要因です。
ですが、企業内の1エンジニアに甘んじている限り、「会社の戦略や方針」に左右されて
しまい、思ったような行動をとることができないのは明白です。
以前の私なら、「会社の方針なんだからしょうがない」で片づけていたことでしょう。
ですが、父親となり部下も持つようになった時、本当に誇りをもてる仕事をする為の努力
をしなければ、私のエンジニアとしての20年間が無になりそうな気がしたのです。
この時、私は会社を飛び出す決意をしました。
そもそも高専の設立主旨は「企業内で即戦力となるエンジニアを産業界に提供する」こと
なので、私のように企業を飛び出すエンジニアや異業種を志すものは異端児なのでしょう
。ですが、異端児だからこそできるエンジニアリングもあるはずです。
自らの方針、自らの戦略で、エンジニアがエンジニアとして誇りをもって仕事ができる環境を実現したいと思います。
皆様の起業・創業を考えるきっかけになればと思い寄稿させて頂きました。
また、もしよろしければ、ホームページやブログもご覧いただければ幸いです。
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hasegawa@eyes-software.co.jp